【完全論破】苫米地英人 (とまべちひでと)さん自身がどうやらわかっていない、本当の抽象度の話。

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ども。ニート太郎です。

今回は、苫米地英人 (とまべちひでと)博士の言う、抽象度について、少し話そうと思うよ。

なんで話すかというと、苫米地博士をネタにして記事に書いたら、すぐコメントがあったので、もう少し書いてみようという。そんだけの理由。

やっぱ読んでくれたら嬉しいしね。

しかも俺、ニート太郎はこの文章を、なんと無料で書いているよ。当たり前だけど。

こういう出だし (苫米地博士の優勝度について語る)で始めると、なんかニート太郎は苫米地英人の信者なんじゃないか??

って思われるかもだけど、実は意外にもニートのくせに、僕は小さい頃から勉強ができて、天才と呼ばれ続けていたニートなんだよ。

だから苫米地博士の本も、秒速で読んでしまえたので、苫米地英人先生の抽象度っていう概念に対しても完璧に理解したつもりだよ。

苫米地先生も、わかっていないなぁ。

というところを書こうと思うよ。

苫米地博士の言う、抽象度について

抽象度 (ちゅうしょうど)っていう概念は、苫米地博士がよく使う言葉で、要するに、細かいところを見るのではなく、物事の本質を見る視覚みたいなもののことを言ってるみたい。

抽象度の高い低いは、物理空間でいう、鳥が飛んでるような天空から見下ろした視点が、抽象度の高い視点。

普通にいる俺らがいてる地上の世界が抽象度の低い視点。

みたいな。

抽象の反対は具象 (ぐしょう)。

昔、印象派 (いんしょうは)っていう派閥 (はばつ)の絵を描いていたグループの画家 (モネ、ゴッホ、ルノワールとか)がいたけど。

例えるなら、苫米地英人 (とまべちひでと)博士は、単に、「俺は印象派の画家の絵が好きなんだ。」って宣言してるだけに過ぎない。

そう宣言している時点で、物事の本質に対する抽象度は低くなる。

「俺、抽象度の高いことが好き。」って具体的に、指摘した時点で、それは限りなく具象に近づくのだ。

その時点で、抽象度は限りなく低くなるのだ。

これは物事の本質を捉えようとするとかえって捉えられない。

または、苫米地英人博士のように、真実を捉えたつもりに陥ってしまう。

現実の世界では、情報空間の抽象度の高さは役に立たない

情報空間 (頭の中で考える世界)での抽象度と、物理空間 (実際に物質がある世界)での抽象度は、同じように考えてはいけないってこともあると思うし。

例えば、どれだけすごい (抽象度の高い)アイデアがあったとしても、それをそのまま物理空間に簡単に持っていけるわけではない。

そのまま持ってきた途端、おそらく、とんでもなく不恰好なものになってしまう。

昔、mp3プレイヤーが出始めの頃は、とても不恰好な、使いにくいmp3プレイヤーが販売されていたのがいい例だと思う。

それに目をつけたのが、Apple Computerの、スティーブ・ジョブズだった。

不恰好な、使いにくいmp3プレイヤーばかりが売られていたことに目をつけたスティーブ・ジョブズは、

mp3プレイヤーを、使いやすく、ユーザー・フレンドリーに改良した製品、iPod (アイポッド)を作って、市場を独占した。

情報空間 (頭の中の世界)のシンプルな構造を、そのまま物理空間には持ってこれないので、抽象的にではなく具体的に使いやすい製品を作るために努力した。

その結果、ユーザー体験としては、非常に抽象度の高い (わかりやすいシンプルな)製品、iPodが作り出された。

具体的に、デザインなど細部にこだわったものが、結果的に、ユーザー体験にとって、抽象度の高い (シンプルで美しい)製品を作り上げたのだ。

(ぼくも抽象度っていう、苫米地英人博士の言葉に乗っかって話してるけど、たしかに、抽象度という概念は、使いやすいな。)

なので、個人的な意見だけど、言語という、どうにでも変幻可能な情報空間 (頭の中)の中でいくら偉そうに、抽象度の高さを説いたところで、彼の言ってることは、絵に描いた餅。

彼の概念を、そのまま物理空間に持ってきたところで、とんでもなく不恰好になってしまうようなものだと思えるし、彼自身は、物理空間にプラスな影響を与えるような抽象度の高い物理的な製品を何も作り出してないんじゃないか?

ってのが僕の感想。

 

 

 

 

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