【小沢健二 (おざわけんじ)復活】NEWS ZEROで語ったロング・インタビューの内容公開

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小沢健二 (48)初めて語る…19年前の活動休止と海外生活

今夜のゼロカルチャーは、おととい、19年ぶりにシングルをリリースした、小沢健二さんの特集です。

19年前、突然日本での音楽活動を休止。以来、海外で生活しています。

村尾キャスター:世界の何を見て、何を感じたのか?テレビで初めて、語ってくれました。

小沢健二:えーっと。1998年に小泉今日子さんと、ワインの対談をしたのが最後で…。

そのあとにテレビに一本出て、そのあとずうっとテレビに出ない時間が続きました。

よろしくお願いします。

実に19年振りとなるテレビの対談収録。

村尾キャスター:はじめまして。

小沢健:はじめまして。

村尾キャスター:村尾です。

小沢健二:よろしくお願いします。

村尾キャスター:よろしくお願いします。今日は楽しみにしてました。

小沢健二:はい。楽しみです。よろしくお願いします。

東京大学在学中に音楽活動を始めた、小沢健二さん。

耳に残るリズムと、独特な歌詞の言い回し。

”オザケン”の愛称で、瞬く間に日本の音楽シーンを席巻 (せっけん)して行った。

しかし、1998年、突然、国内での音楽活動を休止。

拠点をニューヨークに移した。

こちらは、渡米前、最後に出演した日本テレビの番組。これ以降、メディアの前に、一切姿を現さなくなった。

村尾キャスター:小沢さんは20代から日本を離れるわけですよね。

小沢健二:はい。

村尾キャスター:これは、どういう心境で、海外へ行こうと?

小沢健二:えー。なんでか、

アメリカのブルースとか、アメリカの文学とかが大好きで。

どうしても…住むチャンスがあるんだったら、住みたい!ていうのはもう、単純に、子供の頃から、ありました。

それで…ある時期もうほんとにたくさん録音して。たくさんっていうのは数がたくさんっていう事ではないんですけども、

ものすごく、音楽に色んな事を詰め込んで、それをやった反動みたいなのがやっぱりあって…。

やっぱり、ほんと…なんなんですかね。ボロボロになっちゃうっていうか、そういうのはあって。

どうにきゃしなきゃっていうのはあって。

ただ、ある意味、自分は投資をされている身というか。

スターになるっていう事で投資をされている身なわけで

それを突然しないっていうのは。続けないって言うのは結構難しいことなんですけど。

それでもやっぱりなぜ自分が、こういう…音楽や文学が好きかって言うのをすごく知る事ができたっていうのは。

なんかすごく落ち着く、気持ちを作ってくれています。」

村尾キャスター:実は大統領の投開票日に、私もニューヨークにいたんです。

小沢健二:あ。そうなんですね。

村尾キャスター:この…トランプ大統領を生み出す風土というものを感じて…ました?

小沢健二:もちろん。あの…トランプ大統領…っていう形で明らかなビジュアルで、”ボンっ”と出た事ですけれど。新しく起こっている事ではなくて、

民主党選んでも、共和党選んでも、コーラとペプシを選んでるような状態に、なってしまう。

っていうのは、構造的にずっとあった事だと思います。

マイケル・ムーアが面白い事言ってたんですけれど、その、無力感があまりにも多い中で。

その…カーテンが閉まった瞬間に、外ではどんなきれいごとを言ってても、

「くそくらえ。」って言う奴が絶対いるってずっと、選挙の前からよく言(ゆ)ってて…

その気持ちっていうのはすごくわかります。

今週水曜日、都内各所のレコード店では、小沢さんの特設コーナーが作られていた。

19年ぶりとなるシングルのリリース。

発表したのは2曲。

その中の、流動体についての歌詞に、こう綴られている。

「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」

まるで過去の自分に問いかける様な表現になっている。

 

また更新します。

 

 

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